宗像窯の  

■歴史  ■仕事  ■ニシン鉢

  についてご説明いたします。



■宗像窯の歴史


柳先生、河井先生らのご来訪
   柳先生、河井先生らのご来訪

秩父宮妃殿下のご来訪
    秩父宮妃殿下のご来訪



 近世会津のやきものは1593年、千利休の七哲の蒲生氏郷公が若松城主のころから始まります。その後、会津本郷町に大量の陶土が採れる事によって産地として発展して来ました。
 宗像窯の先祖である宗像出雲守式部は、奈良時代 (767年)に福岡県宗像大社の布教師として会津本郷町に移り住み、宗像神社(現在の広瀬神社)を建立しました。





 やきものは享保四年(1718年)に始まり、専業となってからは八代目となります。中でも特筆すべきことは、1954年(昭和29年)に柳宗悦を始め河井寛次郎、濱田庄司、バーナード・リーチ各氏のご来訪を受け大変な激励を頂きました。その後、1958年(昭和33年)には、六代目豊意(故人)がベルギーのブリュッセル万国博覧会にて、宗像窯伝来のにしん鉢が最高賞のグランプリを受賞し、1963年(昭和38年)には、秩父宮妃殿下のご来訪を戴き今日に至っております。





七代目亮一 第1回日本陶芸展優秀賞受賞   日本橋三越本店にて七代目作陶展開催
  (秩父宮妃殿下御臨席の前で)            (谷川徹三先生と)

 父七代目亮一は、第1回日本陶芸展において優秀賞を受賞し、宗像窯の隆盛の基を作りました。




八代目利浩 日本陶芸展文部科学大臣賞受賞    日本橋三越本店にて八代目作陶展開催
  (桂宮宜仁親王殿下と歓談中)            (出光昭介会長さまと八代目と長男利訓)







会津本郷の陶器は、かつて粗物(そぶつ)と呼ばれていた時期があり、本来の意味は侘(わ)び茶の祖である村田珠光の茶の心得のひとつに、「上を虚(そ)相に下を律儀に」という一文があり、その意味は「虚相の美」とも言われ、表面はかざらず内面を充実させるということです。

今、会津のやきものを語る時、質実剛健と言われることがよくあります。古来より、山や河、すべて人間の力が及ばないものに神が宿ると言われます。大自然に接している会津人の心の中には寛容と慈悲の精神が眠っていると思います。質実剛健と言われる作品を造る上で虚相の美を備えた会津の風土から来る精神が今、とても大事に思えます。

 平成17年町村合併により会津美里町(旧会津本郷)になり、宗像窯も八代目を利浩が継承する事になりました。




八代目当主・宗像利浩









■宗像窯の仕事


地元産にこだわる宗像窯の原料
宗像窯は、創業当初より会津の恵まれた自然の恩恵を受けて参りました。現在も自然の恵みに感謝して原料となる土や釉薬は地元産にこだわって作陶しております。


宗像窯の土
宗像窯では創業当初より地元白鳳山で採れる的場陶土を使いつづけております。この土は粘土の中に砂と鉄分が微妙に混じりあい、全国でも稀な生がけ焼成が可能な土です。宗像窯独自の質感や味わいはこの土により生かされてきました。

宗像窯の釉薬
宗像窯の薬は地元で採れる顔料や、地元のナラ灰を主原料としております。現在では宗像窯伝来の飴釉、白釉、鉄釉、辰砂釉に改良を加え、禾目釉、天目釉、井戸釉、瑠璃釉があります。 また原料となる灰は、工房でのまきストーブの灰を使い、資源の再利用も自然の形で行っています。

焼き物を作る
伝統的にロクロ成形とニシン鉢に代表されるタタラ成形が基本となっております。ここではロクロ成形をご紹介したいと思います。

1. ロクロ成形(利鉢)
土に接着したカメ板に15キロの土を載せ、穴を開けて土を端に寄せる。
土を殺してから底をつくり、さらに荒く伸ばす。
荒伸ばしの後に口を締める。すでに最終的な形を意識している。
さらに口を締めながら形を整えてから口を開く工程に移る。
全体を確認してロクロ成形が完了する。

2. 削る
形が動かない程度に乾いてからロクロの中心にすえ、高台に目印をつけて、木製のカンナで削ります。
3. 薬をかける。(井戸茶碗)
土が完全に乾いてから素焼きはせずに釉薬をかける生がけをします。
※1〜3 陶工房49号より抜粋、写真:高島秀吉氏

4. 焼く

宗像窯では伝統的に登り窯で焼成をしておりましたが、現在ではガス窯も併用しております。
登り窯につきましては、焼き方は始めに一番下の大口で2日間かけてゆっくりと窯全体を暖めながら温度を上げてゆき、一旦大口を閉め、次の部屋の焼きに入ります。ここからの炊き方は横炊きになり、左右から二人で呼吸を合わせ炊いてゆきます。 時間は全体で三日三晩、不眠不休で炊き続けます。

5. 窯だし

焼成をして焼き上げた後、冷め割れや貫入を防ぐため窯をじっくり時間をかけて冷まします。窯出しをするのが待ち遠しく、待っている時間がとても長く感じます。何度窯焚きを経験しても窯出しをして納得のいく作品が出来上がった時の感動は大変大きいものです。














■ニシン鉢とは

ニシン鉢


 1958年に宗像窯の六代目豊意がベルギーブリュッセル万国博覧会で最高賞のグランプリを受賞した鉢です。
 ニシン鉢ができた背景には当時の会津の生活や風土があります。山に囲まれた盆地の会津には新鮮な生魚が入りにくく、タンパク源として乾燥させた身欠きニシンをサンショウと酢、しょうゆで漬け込む「ニシンのサンショウ漬け」が作られました。これを食べるためにニシン鉢が必要だったのです。現在はサンショウの新芽が出る5月ごろに浅漬けして食べるのが主流となっています。
 ニシン鉢の形は長方形で、5枚の板による張り合わせで作られます。釉薬(ゆうやく)は茶色の飴釉(あめゆう)が主流です。飴釉は焼き上がったあとに冷めるときにできるひび割れがほかの釉薬に比べて少ないので、油が染みにくく水漏れが少ないです。塩分にも酸にも強い一番丈夫な釉薬です。それに陶器のニシン鉢はプラスチックやガラスと違い、器自体が呼吸していて、気温や湿度を微妙に調整する力があるため、漬け汁が良い上体に保たれ、ニシンがおいしくなります。
 ニシン鉢が世界で評価されたのは単純に色や形が優れているだけの表面的なものだけでなく、作品の中に会津の風土がしっかりと刻みこまれている点です。単純な構成の中に力強さと美が備わっているため、日本的なものとして世界に認められたのです。
 又現在は、花器やワインクーラーにも使われております。

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